愚直な奴の一点突破

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『寝ても覚めても』レビュー ~幻想としての恋愛か、苦い現実の先の愛情か~

◆基本情報                         
・2018年9月公開
・監督 濱口竜介 脚本 濱口竜介 田中幸子
・出演 東出昌大 唐田えりか 瀬戸康史 田中美佐子 伊藤沙莉

◆あらすじ
まだ幼さの残る朝子は、大阪で麦という青年と出会い恋に落ちる。しかし、麦はある日突然朝子の前から姿を消してしまう。
数年が経ち、朝子は東京で麦と全く同じ顔の男性、亮平に出会う。朝子と亮平は惹かれていき共に暮らすようになったが、朝子の前に麦が姿を現す。

◆レビュー
あまり邦画を見ないのですが、本当に素晴らしい作品で、自分にとっても特別な一本だったので、ここに書いておきたいと思いました。
どうしても、この映画のことだけは誰かに伝えたかったんです。

柴崎友香作品の映像化〉
柴崎友香という作家は、繊細な情景描写に定評がある。
それを映画に転換するにあたって、日常の何気ない仕草ややり取りに非常に力を入れていた。
例えば、亮平が非常階段でタバコを吸っていたら雨が降ってきて、地上から朝子が見上げるところのほろ苦い距離感。
他にも「カレーの味か染みていたね」なんて会話や、靴下を脱がせるところからは、二人の朴訥とした幸せの形を端的に見せている。
これらの細かい描写から二人の関係性の変化を浮き彫りにさせている製作陣の手腕に惚れた。

〈背景にある自然に込められた隠喩〉
二人が移り住むことになったアパートの近くにある川は、主人公の朝子自身に他ならない。
静寂で汚れのない川が、最終場面では、水嵩をまして濁っている。幻想としての愛情しか直視せず、逃避していた彼女が、現実の厳しさにもまれ、人間的に成長したことが見てとれる。
また、川の流れ着く先は、言わずもがな海になる。朝子が、麦と別れたシーンで写し出される荘厳で荒くれだった海の姿は、彼女が行き着く、甘くない現実を示している。
他にも終盤、川原道で朝子が麦を走って追いかけるシーン。彼らの後について行くように、曇り空が晴れていく様子は、二人の愛情が再生する予兆といえる。

〈役者陣の好演〉
特筆すべきは、東出昌大の二面性を生かした演技。特に声の使い分けによって麦という不気味だけどそれゆえに引き付けられら人間をうまく表していた。
また、唐田えりかの純朴でそれこそ少女漫画の主人公のようなキャラクターが本作の肝になっていた。現実を直視できず、幻想としての恋愛に耽溺してく姿は、芸歴の浅い彼女だからこそ体現できていたのだと思う。

〈幻想かリアリストか〉
本作のテーマは、幻想としての恋愛とリアリズムの先の恋愛の対比である。
前述した東出昌大の二面性がそれを象徴している。
麦というキャラクターは、言い知れぬ魅力があるが、どうにも掴み所がない。瞬間的に恋愛を楽しめても、決して安定的で幸福な生活にはたどり着けないのである。
思えば冒頭から彼には実在感がない。
朝子と麦の馴れ初めも少女漫画のようなロマンチックなものだった。なぜ二人が引かれ合うのかの合理的な説明がない、感性に乗っ取った愛情になっている(強いて言えば口笛なのかな)。
その証拠に麦と朝子の恋模様は、映画のタイトルが出てくる十数分間しか描写されない。この辺の構成も、二人の恋愛がふわふわしているという印象を強める。
反面で、亮平というキャラクターは定職に就き、地に足を着けた生活をしている。
亮平と朝子が引かれ会うまでの過程を丁寧に描写することで、なぜ恋に落ちたのかのロジックが追えるように工夫されている。

終盤、朝子は優しくない世界に対峙することとなる。
友人は難病により身動きがとれない人生を余儀なくされたり、仙台からの帰りに頭を下げてお金を借りに行くところなどがある。
なにより、朝子が自らの決断の後始末として亮平にもう一度会いに行くのが最たるシーンである。
二度と許されないとわかっていながらも、それでも愛する人と共に生きていくその決意は、濁っていてもそれでも綺麗な川の情景と同種のものなのである。

人を愛するとは、相手の汚いところや見たくない部分もひっくるめて抱きしめる覚悟をもつことなのだと、この作品は訴えかけてくる。
本当に素晴らしいメッセージだと思う。

◆余談
今回は余談はなしにします。
なんだか、これ以上語りたいことがないので……。