日本版『50回目のファーストキス』レビュー ~リメイクしたことの意義 オリジナルとの徹底比較~

◆基本情報

①日本版                            

・2018年6月 公開

・監督 福田雄一  ・脚本  福田雄一

・出演 山田孝之、 長澤まさみ、 ムロツヨシ、 佐野史郎、 太賀

 

アメリカ版                     

・2005年6月 日本公開

・監督 ピーター・シーガル  ・脚本 ジョージ・ウィング

・出演 アダム・サンドラー、 ドリュー・バリモア、 ロブ・シュナイダー、 ショーン・アスティン

 

◆あらすじ(日本版)

ハワイでツアーガイドのバイトをする傍ら、天文学に携わる弓削大輔(山田孝之)は、日本人観光客との行きずりの関係を楽しむ毎日を送っていた。そんな折、カフェで偶然出会った藤島瑠衣(長澤まさみ)に一目惚れをしてしまう。いつもの調子でナンパに成功した大輔だったが翌日、瑠衣に話しかけると、彼女は大輔のことなど知らないと言う。実は瑠衣には悲しい秘密があり……。

 

◆感想

ついにこの時が来たのか……。そんな思いを抱きながら劇場に足を運び、『50回目のファーストキス(2018)』を鑑賞してきました。

私が恋愛映画で最も優れている作品だと思うのは、他でもなく、ピーター・シーガル監督の『50回目のファースト・キス(2005)』です。

初め、こんな完璧な作品を日本版にリメイクすると聞いた時、言い知れぬ不安を覚えました。なぜなら、私の中では神格化すらしている作品の為、どのように改良を図っても上積みがないのではと考えたからです。

本作に限らずですが、何らかのリメイクを作るにあたって、原作のファンがうるさく反応してしまうのはよくあること。傍から見ていると、そういった原作信者は厄介者でしかありません。そういった人に対して、私は普段「もっと広い心で作品を観れば良いのに」と冷めた反応をしてきました。しかし、自分が原作を敬愛する立場になり、原作を愛しすぎる人達の気持ちがわからないでもないとも感じます。

そういった自分の立場を踏まえたうえで、今回のリメイク作への思いを綴っていこうと思います。

なお、『50回目のファースト・キス』という作品は、本来ネタバレなしで観るのがおすすめなのですが、今回のリメイク作で大々的にネタバレして宣伝しているため、その点の配慮も全くしない方針をとります。もっとも、いつもネタバレ気にしてないですけどね……。

 

ピーター・シーガル版の位置付け〉

繰り返しになりますが、ピーター・シーガル版の『50回目のファースト・キス』は紛れもない名作だと断言します。私が誰かに「恋愛映画で面白い作品ない?」と聞かれたら、真っ先にピーター・シーガル版を勧めているほどです。

では、何をもって名作たらしめているかと言えば、監督のもつ特色と扱っているテーマが渾然一体となった奇跡的な作品であることが挙げられます。

ピーター・シーガル監督の特色は、アメリカらしいコメディと意外性のある展開です。

『ゲットスマート』『ロンゲスト・ヤード』などフィルモグラフィを鑑みれば、監督の方向性が一目瞭然。これらの作品もかなり良くできていているのですが、オールタイムベスト10に名を連ねほどではありません。

その中にあって『50回目のファースト・キス』が、なぜ特別な存在に成り得たかと言えば、記憶障害という深刻なテーマに果敢に挑戦しているからです。

この手の「記憶喪失もの」だと、どうしても悲劇性を全面に打ち出した「お涙頂戴」の作品になるのが普通です。本来悲しいはずのテーマを、悲しいままの作品にする発想は、さほど新鮮であるとは言えません。

対して『50回目のファースト・キス』が秀逸なのは、本来悲しいはずのテーマを、ピーター・シーガルらしい笑いの力で乗り越える、という奇抜な着想にあります。

一見すると、下ネタ全開で行き過ぎたコメディ要素が目立つ作品ですが、それは必要なバランスで、深刻な題材を中和するための清涼剤として笑いが組み込まれているのです。

ルーシー(ドリュー・バリモア)が抱えている短期記憶喪失障害が現実にあれば、人生における紛れもない困難のはず。この作品が素晴らしいのは、耐え難い困難を前にしても、工夫とアイデアをもって立ち向かう希望に溢れたコンセプトにあります。障害や病気があっても、それを笑顔で受け入れたうえで、前向きに生きていく姿に強く胸を打たれました。

オリジナル未見の方がいましたら、是非鑑賞してください。絶対に損しないことをお約束します。

 

福田雄一監督が抜擢された狙い〉

初めこそリメイクの話題で不安を抱えていましたが、作品の成功に期待を持つようになったのは、福田雄一氏が監督に起用されると知ってからです。福田監督が抜擢されたのは、作品のコンセプトを鑑みれば、非常に理にかなった人選であると言えます。

オリジナルを未見の人、あるいは福田監督の純粋なファンの人からすれば、違和感を覚える人選かと思います。しかしある程度、事前知識のある人ならば、すぐにこの抜擢の狙いに気がつくはずです。

前述しましたが、ピーター・シーガル監督はコメディ畑の出身で、しかも、上品で洒脱な笑いではなく、下品で良い意味で馬鹿っぽい笑いを追求しています。

この作品を日本版にリメイクするためには、同じ感性をもった監督が必要不可欠。その意味で、『勇者ヨシヒコ』『銀魂』などの実績のある福田監督は最適だと言えます。

 

〈比較 リメイクの短所〉

リメイクにあたっていくつかの変更点があり、長所と短所がそれぞれ存在します。言うなればコインの裏表の関係で、どこかを伸ばせば、他の部分に歪が生じてまうのが必然です。

まずは短所に関して述べます。

初めに違和感を覚えたのは、外国人キャストとの絡みにちょっとしたノイズがあることです。本作の設定上、物語の舞台には、季節の移り変わりのないハワイであることが肝になっています。オリジナルにおける舞台設定は巧みで称賛されるべき部分であり、日本版においてもその点を踏襲していることは英断ではあります。そのため、ある意味仕方のない部分ではあるのですが、言語の統一が図れていないのが欠点になってしまっています。

舞台をハワイにしながらも、日本映画である以上日本人キャストを多数起用しています。つまり、日本人同士の会話においては日本語が用いられるのですが、外国人キャストとの絡みになると英語をしゃべりだすという状況になっており、コメディの軽妙な掛け合いの足かせになっているのです。

他にも設定に関して言えば、主人公の職業が獣医から天文学者に変更されています。オリジナルにあった海洋生物たちのキュートな演技が消滅ているのは欠点と言えます。動物たちの存在は、可愛らしさと同時にコメディ要員としても大きかったので、残念に思いました。

その動物たちの笑いに取って代わるのが、福田流のお笑いエッセンスです。

本作の成功の鍵は、いかにしてアメリカのコメディを日本的な笑いに変換するかにかかっています。福田節による日本的笑いはかなり成功していると感じましたが、ややもすれば行き過ぎた部分もありました。具体的には、ピコ太郎や宇宙人の着ぐるみなどは度が過ぎていたかなと。

設定の変更で細かい部分ですが、主人公がプレイボーイになった背景を簡略化しているのが頂けなかった。日本版だと「恋愛は研究の邪魔になるから」程度の理由しか説明されていませんが、オリジナルだと「以前付き合っていた恋人に酷い裏切られ方をしたから」となっています。オリジナルの設定のほうが、恋愛の傷を乗り越え真の愛情の価値を実感するというストーリーが強調されるため、その分恋愛映画として厚みがありました。

 

〈比較 リメイクの長所〉

長所に触れれば、何よりキャスティングの妙が挙げられます。主演の二人、山田孝之長澤まさみはイメージにピッタリでした。

オリジナルの主人公ヘンリーを演じるのは、アメリカでは押しも押されぬトップコメディ俳優であるアダム・サンドラー。数々のコメディ映画で主演をはった実績を活かし、オリジナルの成功も彼なしには考えられません。決してハンサム過ぎないけれど、どこか親しみやすい顔つきは、山田孝之の素養と合致しきっていると感じました。また、山田孝之が仕事を選ばない俳優であることも一役買っているのではと考察します。

オリジナルのヒロイン、ルーシーを演じたのはドリュー・バリモアで、愛らしい魅力に溢れた俳優です。長澤まさみの可愛らしい所作は負けず劣らずの破壊力で、特にワッフルハウスを作るシーンなんかは、ドリュー・バリモアを上回っていたかと思います。

ついでですが、同じくカフェでナンパするワンシーンで、大輔が話しかけるのに対して中国語しか話せないふりをして瑠衣があしらう、というくだりがあります。原作にも同一のシーンがあったのですが、日本版だと前述した言語の不一致が効果的に機能して、一層アイディアの面白みが増していました。

他のキャスティングでは、ヒロインの弟の藤島慎太郎を演じた大賀の筋肉キャラが光ってました。なかやまきんに君的芸風をトレースしたあの存在感は、オリジナルにおいて同役を演じたショーン・アスティンへのリスペクトだと言えます。

今回のリメイクでは福田監督流のアレンジを加えつつも、原作を高いレベルで再現しており、その点も見どころの一つ。ナンパで、車のバッテリーに感電したシーンや、暴漢に襲われている所を助けてもらうシーンなどが再現度の高いところ。

オリジナルにあったユーモラスなシーンを、我々日本人の馴染み深いキャストが演じることで感情移入しやすくなっており、作品を再構築した意義が見出されます。

また、2005年に制作られた映画を2018年にリメイクするためには、時代の移り変わりを配慮しなければいけません。日本版では、スマホの扱いに慎重を期して臨んでいたり、瑠衣へのビデオレターの内容が、しっかり現代日本人の理解しやすい話題になっているなど手落ちのない部分でした。

今作で特にうまいなっと感じたのは、終盤で大輔がハワイを離れなければいけない必然性を強化したところです。オリジナルでは海洋生物の研究で船旅に出るため、ハワイを離れることになっていますが、この設定では、いつまでに出港しなければいけないかは、主人公の裁量で自由に決めることができてしまいます。そのため、愛する人と離れなければいけない逼迫感が削がれており、プロット上の弱点になっていました。

その点、今回の日本版では、ワシントンからのオファーによって離れる設定にすることで、人生における千載一遇のチャンスであることが強調されます。主人公が行動するまでにタイムリミットを設けることで、緊張感の高まった展開に調整されており、はっきりとオリジナルの弱点を補強する設定になっているのです。極めてクレバーなリメイク戦略だと感じました。

最後に演出に関して。

ラスト周辺で大輔が飛行機に乗りハワイを離れようとするも、引き返すシーン。瑠衣との思い出の画像を見て、諦めきれないという動機付けによって行動を起こすのです。

対してオリジナルでは、ピーター・シーガル監督らしい一捻りが加わっていました。

船出の直後、ルーシーの父親から託されたビーチボーイズの『素敵じゃないか』を聞いて号泣するヘンリー。その瞬間、この曲がルーシーとの思い出の曲であることに気が付き、父親からのメッセージを汲み取るという趣向です。

このような演出プランの違いからも、今回のリメイクの意義が垣間見えます。

つまり、最高にロマンティックなオリジナル版に、日本の恋愛映画的王道展開を意識した演出プランを採用することで、直情的でエモーショナルな作品に仕上げているのです。

このような部分に『50回目のファースト・キス』を日本人向けに再構築してやろうという、制作陣の挑戦心や気概が隠されているのではないかと考えます。

 

結論として、日本版『50回目のファーストキス』がオリジナルの『50回目のファースト・キス』を超えられたかと言えば答えは「ノー」です。

しかし、この記事で書いてきたように、オリジナルとの比較をするだけでも楽しめる映画にはなっています。また、現代的な時代性を反映させた日本人的趣向の作品として考え抜かれており、リメイク作としてみれば良くできた作品と言えます。

これらの意味において日本版『50回目のファーストキス』の存在意義は確実にあると思います。

 

◆余談

オリジナル版の隠れた楽しみ方を紹介しようと思います。

ルーシーの弟を演じたショーン・アスティンは、『50回目のファーストキス』が制作された2004年の前年まで『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのサム役を演じていました。

あの感動超大作で名演を披露していた男が、翌年には完全なるコメディ要員として、三枚目筋肉キャラに転じているのが、俳優という職業の面白いところです。

オリジナルの『50回目のファーストキス』を観た後に『ロード・オブ・ザ・リング』を鑑賞すると、また別の意味での可笑しさを味わえるので、一緒にレンタルしてみてください。