『キングアーサー』レビュー ~作品の歪な面白さと興行成績、二つを天秤にかける~

◆基本情報                         

・原題『King Arthur:Legend of Sword』

・2017年6月 日本公開

・監督 ガイ・リッチー 脚本 ジョビー・ハロルド、 ガイ・リッチー、 ライオネル・ウィグラム

・出演 チャーリー・ハナム、 ジュード・ロウ、 ジャイモン・フンスー、 アストリッド・ベルジュ=フリス

 

◆あらすじ

ヴォ―ティンガ(ジュード・ロー)の策略により、父を殺され、王家より追い出されたアーサー(チャーリー・ハナム)は、スラム街で貧困と暴力の中を生き抜いていた。そんな折、聖剣エクスカリバーにまつわる運命が、アーサーを王位をめぐる争いへと誘うことになる。

 

◆レビュー

人間には適材適所がある。学校では人をまとめ上げる能力に長けた人間が生徒会長をしたり、社会では探求心の強い人間が研究職に就くことなどが良い例でしょう。

人間は自分の持つ能力を最大限発揮し、役立てたいと心のどこかで願っています。そのほうが本人だけではなく、周囲の人間にとってもプラスに作用することは明白です。

ではもし、自身の適正から少しズレた領域の仕事を任された時、どういった結果がもたらされるのか?今回レビューする『キングアーサー』は、才能と環境という視点で観てみると、非常に興味深い作品だと言えます。

 

〈監督の過去作を振り返って〉

ガイ・リッチー監督の特色と言えば、独特な演出とスピーディな展開。具体的には、時系列を前後させることで作品に外連味と緊張感を保ち続ける手法です。この演出を入れることで、現代的なスタイリッシュさが全面に押し出されます。

この特徴は、監督の過去作にほぼもれなく反映されています。

寄木細工のような巧妙な脚本のクライム映画『スナッチ(2000)』。世界で最も有名な探偵を、アクションのフィールドで活躍させた『シャーロック・ホームズ(2009)』『シャーロック・ホームズ シャドウゲーム(2011)』。スパイ映画の切れ味を極限まで高めた痛快作『コードネームU.N.C.L.E(2015)』など。

ガイ・リッチー監督の才能は、特アクション映画と互換性が強いと言えます。時系列を入れ替える編集を入れることで、現代映画の潮流、スピード感重視の傾向の最先端を行っています。その意味で直近の『シャーロック・ホームズ』『シャーロック・ホームズ シャドウゲーム』『コードネームU.N.C.L.E』は、ガイリッチー節が如何なく発揮された好例と言えるでしょう。

 

ガイ・リッチー×ファンタジー〉

本作の原作は言わずと知れたアーサー王伝説で、数々の映画、小説、漫画作品のモチーフとなっています。この原作をオーソドックスに映画化するのであれば、莫大な予算と時間がかけることは必要不可欠。事実『キングアーサー』は全6部作の制作予定になっていました。

ファンタジー映画の骨子は、いかにして世界観を構築できるかにかかっており、時代考証、衣装、幻想的ムード、それらが組みあがって見応えのある重厚な作品になります。

先行作品を挙げれば『ロード・オブ・ザ・リング』(3部作)『ナルニア国物語』(3部作)『ハリーポッター』(7部作)などです。

しかし、ファンタジーが本来持っているはずの重厚さと、ガイリッチー監督の持ち味である現代的で軽妙な演出は、本来相容れない水と油の関係です。監督と題材の互換性の低さこそが、本作の最大のポイントだと断定します。

例えば、アーサーが剣を操るためにダークランドへと旅に出る修行シーン。驚くべきことにこのセクション丸々、文字通り早送りで編集されているのです。従来のファンタジー映画ではその修行シーンに時間をかけており、定石に照らし合わせればあり得ない選択と言えます。しかし同時に、この無駄を省いた物語展開は、いかにもガイリッチー監督らしい持ち味でもあります。

同じく早送り編集で言えば、アーサーが幼少期から大人に育つまでの過程も省略されています。子供の頃のエピソードは退屈になるため、必要ないと判断したのでしょう。

他にも、イングランドを代表する12人の領主との対談しにいくシーン。次の展開を洒脱な会話を織り交ぜながら予想していくあたりに、ガイリッチー節がさく裂しています。

アクションシーンについても、歴史ものにある剣劇の系譜からは外れています。エクスカリバーで大人数をなぎ倒したり、ヴォーティガンとの決闘においても現代的なスピード感のあるものに仕上がっています。

このように、ファンタジー映画の本流からはかけ離れた、色物であることは間違いないでしょう。この手の映画のファンからすれば、物足りないどころか、怒りすら買いかねないのも事実です。

しかし、何か新しいものを創る時には、常にリスクがつきまとうもの。無難に今まで通りのファンタジー映画を作りたければ、そもそもガイリッチー監督にオファーすること自体が間違いで、彼が起用された時点で、ある程度は結果が見えています。そこには、従来のファンタジー映画の常識を覆してやろうという意気込みが隠れているのだと思いました。

本来交わるはずのない要素が結合し、歪であるがゆえに今まで味わったことのない映像体験ができます。

 

〈記憶の回想〉

ガイリッチー監督の特性が純粋にプラスに働いている部分も確実にあります。

アーサーは幼少期の記憶が曖昧で、父の黒い魔物の正体、母の死がはっきりとは描写されないようになっています。そこから、エクスカリバーに触ることで徐々に過去の悪夢を思い出すようになります。 

一連の構成は、アーサーがトラウマを乗り越え、自身の運命と対峙するまでの心理をとても効果的に演出することに成功しています

フラッシュバックを多用する方法は、前述したスピード感を出しエンタメ要素を強化する演出とはベクトルが違い、人物の内面を掘り下げる意図をもって組み込まれています。その意図と作品に厚みを持たせる必要性が、正常に手を結んだ結果だと思います。

 

〈王の器とは〉

原作が有名な古典のため、話の骨格を取り出してみると教訓的な内容が読み取れます。これは、王の器にまつわる物語です。

アーサーは娼館で育てられ、暴力と貧困にさらされた劣悪な環境の中にいました。逆境の中から自身を鍛え上げ、知恵を使ってのし上がっていく、魅力的な人物像が見て取れます。そのため仲間からは慕われて支持されています。だからこそ、自分の為に国民が立ち上がり暴動を起こした際に、見捨てることができなかった。

対して、ヴォ―ティンガは計略を巡らして、自身の兄にあたる、アーサーの父を殺害し、メイジの契約の為に妻と娘を犠牲にする残忍で狡猾な人物です。

両者を比較したとき、どちらが人を統治し、従える人物として優れているかは推して知るべし。最終場面、アーサーは因縁のあるバイキングも王として受け入れ従えました。清濁のみ込む王としての器の大きさを表した描写です。

 

〈興行成績〉

どう考えても万人受けするタイプではない本作、案の定と言うべきか、興行的には大惨事になりました。衣装や撮影、有名俳優へのギャラ、プロモーションなどに大金をかけたようですが、興収で全く回収できず大赤字。制作陣も頭を抱えていることと存じます。

映画関係者のインタビューでは、近年のガイリッチー監督作品の中で、最大の失敗作とも言われています。元々全6部作にするはずだった計画も頓挫して、続編の制作は絶望的です。

また、批評面でも厳しい状況で、レビューサイトを覗いてみるとなかなか手厳しい意見が散見されました。

世間的には、上記のような反応は当然だとは思いますが、それでも私はこの作品を批判したいとは思いません。『キングアーサー』は、邪道ながらも挑戦心に溢れた作品。何かを変えようとした結果の、大いなる失敗だと思います。これからも“コケる”ことを恐れない前傾姿勢を忘れないでほしい。その先にしか作家的な発展は見込まれないと思うからです。


◆余談 

監督と作品のジャンルって繊細な関係だと思います。特に映画は企画から実際の撮影までチームで進めていく性質上、監督個人の意見だけが通るものではありません。自分のやりたいようにやれない部分も多々あるだろうに、その辺の気苦労も含めて監督業の一環でしょうね。

ガイリッチー監督の今後のキャリアがどうなるのか、色んな意味で楽しみです。アクション路線で安全に進んでも構いませんが、振り切って全く適正のないジャンルにも挑戦してもらいたい。恋愛映画、ヒューマン映画をガイリッチーが作ったらどうなるのか?恋愛映画で、男女の距離が縮んでいく過程がよくありますが、あそこに早送り演出を適用したら凄いことになると思います。半分興味本位ですが、そんな作品も観てみたい。恐らく企画段階で没になるでしょうが。