『おとなの事情』レビュー ~虚構の中でしか生きられないおとなたち~

◆基本情報                         

・原題『PERFETTI SCONOSCIUTI』

・2017年3月 日本公開

・監督 パオロ・ジェノヴェーゼ  脚本 パオロ・ジェノヴェーゼ、 フィリッポ・ボローニャ、 パオロ・コステッラ、 パオラ・マンミーニ、 ローランド・ラヴェッロ

・出演 ジュゼッペ・バッティストン、 アンナ・フォリエッタ、 カシア・スムートニアック、 マルコ・ジャリーニ、 エドアルド・レオ、 ヴァレリオ・マスタンドレア、 アルバ・ロルヴァケル

 

◆あらすじ

昔からの付き合いで仲の良い7人(3組の夫婦と独身男性)が、食事会を開き親睦を深めていた。冗談の延長で、自分たちの携帯を机に置き、着信があったらスピーカーにしてみんなに公開するというゲームを始める。次第にそれぞれの抱える嘘が露見し、事態は思わぬ方向へと転がりだすこととなる。

 

◆レビュー

ダヴィッド・ディ・ドナッテロ賞をご存じだろうか?少なくとも私は全く知らなかった。

このいかにも舌を噛みそうな名のこの映画賞は、イタリアのアカデミー賞とも言われています。この賞を取った本作はイタリア本国では大ヒットを飛ばしているらしいです。

日本国内では、アメリカのアカデミー賞に関するニュースは一般に普及しており、今年のアカデミー賞候補である、キャスリン・ビグロー監督の社会派作品『デトロイト』なんかが良い例です。今朝方ニュース番組を観ていると、ビグロー監督のインタビューを交えた宣伝が流れていたのが印象に残っています。

ところが、イタリア映画となると敬遠するのが日本人の悪しき先入観なのか、話題にならないのが実情です。かく言う私も、イタリア映画をあまり鑑賞しておらず、省みなければと思いました。その考えに至れたのも、今回レビューする『おとなの事情』の完成度の高さ故であり、この作品に出会えたことに感謝しなければいけません。

なお、このブログでイタリア映画を扱うのは二回目で、以前『鑑定士と顔のない依頼人』をレビューしました。

 

movielocallove.hatenablog.com

こちらも見応えある作品なので、良ければ鑑賞してみてください。

 

〈群像会話劇としての到達点〉

物語前半で魅せられる軽妙洒脱な会話劇が見所の一つ。

この作品で繰り広げられるコメディは、所謂“わかりやすい笑い”と一線を画しており、“ユーモア”という形容が何よりも当てはまる、斜に構えた笑いに仕上がっています。言い換えれば、変化球としての笑い、シニカルで物事を達観した捉え方が伺えます。

例を挙げるなら、恋の定義についての議論。恋をしているかどうかは、どうやって見極めればよいのか?という命題に対して、

「一日30分話すなら恋に落ちてる」「一日60分なら?」「それは恋の病ね」「0分なら結婚だ」

という皮肉交じり会話がリズミカルに連なります。

他にも、男と女の差異をパソコンに例えたところも旨いものだと感心しました。

「男はWindows。安いけどウィルスに弱くて、平行作業ができない」「女はMac。頭が良くてエレガント。金がかかる割に互換性が低い」

ワンシュチュエーションで、気心の知れた仲間同士から生み出されるやり取りの数々は、可笑しみの隣に人間真理を突く鋭さを備えています。この鋭さこそ、後半におけるシリアスな展開への予兆とも取れます。

脚本に名を連ねるのは、ざっと調べただけでも8人以上です。これだけの小粋なアイデアは、何人もの映画のプロが意見を持ち合ったからこそ成立したのだと思います。同時に、集団として足並みを揃えて一つにまとめ上げる労力もまた、並大抵ではなかっただろうと想像します。

 

〈伏線、展開の巧みさ〉

伏線を張り巡らせ、緻密に設計されているのも本作を傑作足らしめている要因です。寸分の隙がなく、96分の上映時間一杯を使ってとてつもない情報量が収まっています。しかも、作品を窮屈にさせず、エンタメ性も確保したうえで成立させており驚嘆すらします。

エヴァロッコの子供の問題。カルロッタとレレの姑問題、パンツの一件、事故の話題。ビアンカとコジモのワインに関しての会話。それぞれが追々の展開に無駄なく生きてきます。これらの伏線は前述した軽妙な会話の中に無理なく組み込まれており、話題が滔々と移り変わるその展開力は見事の一言。とりわけ感心したのが、ぺッぺとレレのスマホ交換のアイデアです。この件で、こんなにも話を広げるとは、初見時は予想できませんでした。

また触れておきたいのは、二段落ちの構成力です。中盤でそれぞれの夫婦の抱える問題に一回目の着地を見せ、観客を一安心させてます。この「ちょっと良い話」で終わってしまったら、その辺の凡百な作品に成り下がっていたことでしょうが、そこからもう一波乱起こすひねりの効いた脚本が素晴らしい。そして明かされる二回目の落ちこそ、作品のテーマである虚構の中で生きる大人の姿を映しています。

本作は複雑な構成の上に成り立っており、後になって、前半の登場人物の発言一つ一つの真意を知ることとなります。その意味で二回目、三回目に観ると、「あの時、あの人はこういう心情だったのか」と本当の意味で感情移入できて味わい深く感じます。

何回も鑑賞できるタイプの作品という意味でも、“おとな”な出来だと言えます。

強いて苦言を呈するならば、音楽の使い方について。真相が明かされる度に同じBGMが流れて単調だったかなとは思います

 

〈嘘をつくことの意義〉

全ての嘘が明かされた後の醜い本音の罵り合いは、目を覆いたくなるほどの惨状で、前半の取り繕っていた頃のコメディの裏面と言えます。ここから浮かび上がるテーマは、大人同士が共に生きていく為の嘘の必然性なのだと断定します。

人間は相手に妥協し、嘘をつかなければ生きていけない生き物です。本音を語り、その度に折衝していたら、友人とも夫婦とも関係を続けることができなくなってしまう。彼らの嘘は必要に迫られた、切実な理由か発したものです。

これらのテーマを見事に表しているのがラストで、映画史に残る名シーンといえます。全てのトラブル終わりみんなが外に出ると、今までの出来事すべてがなかったかの様に元の関係に戻ります。ここの切り替えの早さこそ、本作の最重要ポイント。

初めからみんなわかっていたのでしょう。自分も相手も、誰しもが嘘を抱え、その虚構の中でしか生きていけないことを。相手の嘘を見逃すということは、自分の嘘を見逃してほしいという要求とイコールです。その打算と駆け引きによって平穏が保たれるなら、虚構の世界でも構わないじゃないか、とのメッセージが読み取れます。

最後に、本作のひねりの効いた脚本に習って、もう少し穿った解釈をしてみようと思います。

劇中のシリアルキラーの例えにあるように、人は無駄とわかっていても誰かに本当の事をわかって欲しいもので、そのために臨んで馬鹿げたゲームに参加することもあります。本作の構成上、二段目の卑劣な嘘が強烈で忘れられがちですが、一段目の優しい嘘もまた劇中で確実に存在しています。また、エヴァロッコの娘ソフィアの問題に関して、本音を語り合った末に、本当に理解し合えた様子も描かれています。

これらから垣間見える嘘の善良さを、決して否定しきっていない点を踏まえた上で物語を見直すと、本作の捉え方が僅かばかりでも変わるのかもしれません。

 

◆余談

本作と比較する作品があるとすれば、2012年のロマン・ポランスキー監督作『おとなのけんか』です。群像会話劇のスタイルや、テーマも含めて似通ったところがあります。邦題も上記の作品に寄せてつけられていて、意識したことは容易にわかります。

なお、本作のタイトルの英訳が『PERFECT STRENGERS』で、2007年公開のハル・ベリー主演作にほぼ同名のものが存在しますが無関係です。こちらは見所がないわけではないのですが、個人的におすすめしません。共通項を見つけるならば、保身から嘘をつく人間の愚かさといったところぐらい。

 

私は映画を観る際に、先入観を持たないように心掛けており、本来なら食わず嫌いなんて以ての外です。そこで、これからはイタリア映画への挑戦も課題にしようと思います。手始めに、ダヴィッド・ディ・ドナッテロ賞の他作品を鑑賞してみます。

というか、イタリア映画に限らずですけどね。邦画も含め、もっと他国の作品に手を伸ばしていこうと思います。