『ローガン』原題『LOGAN』レビュー ~彼はヒーロー足り得たのか~

 ◆基本情報

・2017年6月 日本公開 

・監督 ジェームズ・マンゴールド  脚本 ジェームズ・マンゴールドマイケル・グリーンスコット・フランク

・出演  ヒュー・ジャックマンパトリック・スチュワート、ダネフ・キーン

 

◆あらすじ

ニュータントが生まれなくなってから25年。ローガン(ヒュー・ジャックマン)はリムジンの運転手をしながら、ひっそりと暮らしていた。かつて、ニュータントたちを救い、導いてきたチャールズ・エグゼビア(パトリック・スチュワート)は認知症を患い、日々の生活もままならない状態だった。

資金を貯め、国外に逃れようとしていたローガンに、ある女性から依頼が申し込まれる。それは、一人の少女を救ってほしいというものだった。

 

◆レビュー

X-MENシリーズの最新作にしてウルヴァリンシリーズの完結作である『ローガン』。

私はX-MENシリーズへの思い入れがそれなりにあるほうで、初期三部作から追いかけて、ここ数年の新三部作やらスピンオフシリーズを漏れなく鑑賞しています。

一応ファンと言って差し支えないとは思います。もっとも、ここで注釈を入れるならば、アクション娯楽大作としての支軸で捉えてたからこその評価になります。

シリーズの長期化に伴うインフレは避けられないもので、その点含めて楽しめるのか、あるいは許せるのかが、本シリーズの認識の枝分かれと結実します。

上記のような人気シリーズゆえの宿命を背負っているのは確かですが、本作『ローガン』に限っては、また別の観点で興味深い映画だったと言えます。

ジェームズ・マンゴールド監督は特に近年、大作映画への傾倒が強いと言えます。一見、本作『ローガン』もその大作映画の一つに組み込まれているようにも見えますが、実はむしろ、監督の初期作品群にあった繊細なドラマ性に重きを置いている作品となっています。

これは孤独な男の物語です。彼は能力故に永い人生を強いられてきました。愛する者を失って、それでも歩んできた人生の最後、ローガンが獲得したものに、感傷の思いをこらえきれませんでした。

 

X-MENシリーズのおさらい〉

非常に息の長いシリーズの為、簡単な概要を書いておきます。なお、作品内時系列と、映画公開の時系列は特に揃えていないためご注意を。

まずは2000年公開、ブライアン・シンガー監督の『X-MEN』から始まります。続いて『X-MEN2(2003)』『X-MEN ファイナルディシジョン(2006)』までの三部作が作られます。

その後チャールズ・エグゼビアとマグニートを中心に据えた『X-MEN ファーストジェネレーション(2011)』『X-MEN ヒューチャー&パスト(2014)』『X-MENアポカリプス(2016)』が制作されます。

主にこれら6作品が本シリーズの主軸と捉えられ、そこから派生する形でウルヴァリンのスピンオフ作品に繋がります。

ウルヴァリン誕生の秘密を描いた『ウルヴァリン X-MEN ZERO(2009)』、ウルヴァリンが日本で活躍する『ウルヴァリン SANURAI(2013)』と着々と作られてきました。

本作の監督ジェームズ・マンゴールドは『ウルヴァリン SANURAI(2013)』を手掛けたことで、『ローガン』の監督に抜擢されたことは明らかです。

しかし、私の見解では『ウルヴァリン SANURAI』はどう見ても、出来がいいいとは言えない代物で、シリーズワーストは避けられないと思います。

話が突飛すぎるのは、この手のジャンル映画ではどうにもならない部分です。それでも他の作品群が、何とかして保とうとしていた説得力は、この『ウルヴァリン SANURAI』には、決定的に欠如しています。

その原因は、ハリウッド映画特有と言うべきか、日本要素への捉え方の方向性が微妙にずれていからだと考えらます。日本へのリスペクトがあるのは認めますし、すべて間違っているわけではないのですが、ある種、戯画化した描き方をすることで生じる浮遊感がどうしても拭えない。それに加えて、SF映画の孕む「嘘っぽさ」とが融合し、結果的にリアリティの喪失を招くこととなりました。

では、そんな流れを汲む『ローガン』はどのような作品だったのでしょうか?

 

〈凄惨なアクションシーン〉

冒頭のシーンから、この作品のテイストが明快に提示されています。

商売道具のリムジンで眠っていたローガンが、柄の悪い、不穏な物音で目を覚まし、そこにはメキシカンギャングが、車の部品を盗もうとする姿があります。

注意しようとするローガンに対して、問答無用で銃を放つ瞬間は、ハッと息を飲む感覚に襲われました。

驚異の回復力を持つはずのウルヴァリンですが、その能力が陰り、衰えていている様も伝わりました。

高々ギャング数人に、手こずってしまうのが何とも痛々しく、今まであらゆる強敵と対峙してきたヒーロー・ウルヴァリンの終焉が見て取れます。

以前ならばどんな傷でもたちどころに治っていたのが、今となってはそうはいきません。ローガンが鏡の前で、胸に撃ち込まれた弾丸を力みながら押し出すところは、自傷的かつ官能的な名シーンです。もちろん、ヒュー・ジャックマンの妖艶なまでの肉体美があってこそ成立したことは、言うまでもありません。

最大の武器の三本ある鉤爪の内、一本が伸びきれず、自力で引き伸ばす様子は憐れみの色さえ滲みでていました。

老いて、力を失うローガンとは反対に存在するのが、11歳の子役ダネフ・キーン演じるローラです。爬虫類的な愛らしい顔つきが印象深いうえ、演技も素晴らしく、凶暴さと子供の無邪気さを併せ持つ好演をしていました。

ローラの子供ならではのアクションシーンは必見。身軽に飛びかかり、容赦なく首を引き裂く様子は、残忍だけれど爽快感の宿った立ち回りでした。ローラのアクションシーンでは、『キック・アス』のヒット・ガールを想起させられました。

序盤で出てくるカーチェイスも工夫が凝らされて、キャラクターの持つ強みだけに捕らわれない、アクションの基礎地も確かです。

本作のアクションシーンに通底しているのは、その凄惨さです。血しぶきをあげ、あっけなく切り落とされる生首や腕。特別強調するのではなく、さもありなんと見せられるグロテスクな描写の数々は、現実に根差した本作のテーマを考慮すれば必然です。R-15指定も避けがたい措置と言えます。

これらの凄惨なアクションシーンは、今までのX-MENシリーズで描かれていたそれとは対照的です。これまでのはヒーロー映画におけるアクションです。つまり具体的な描写を省き、あるいは簡略化することで、凄惨さを避けてきました。あくまで、娯楽に従事するための暴力だったものが、本作ではその暴力の持つ本質を真っ向から描いています。

今まで、ヒーロー・ウルヴァリンがしてきた行いを、真の意味で振り返ると言う意味において、これらのグロテスクな描写は必要不可欠と言えます。

 

〈苦悩する人間としての彼ら〉

チャールズ・エグゼビアと言うキャラクターは、若いころの姿をジェームズ・マカヴォイが演じ、老年になってからの姿をパトリック・スチュワートが演じています。マカヴォィのチャールズもセクシーでそれはそれで良いのですが、パトリック・スチュワートのチャールズは絶対的に頼れる存在感を醸し出していました。

それだけに、スチュワート版のチャールズが認知症を患っている場面は、ショッキングです。思慮深く、理知的だったチャールズも、一人の人間だったのだと改めて認識しました。

チャールズが、自分や周りのことを思い出せない姿以上に衝撃的だったのは、彼の死に際のシーンです。シリーズの中でも最重要人物と言っても過言ではないチャールズが、あんなにあっけなく殺されてしまうとは、本当に予想できませんでした。

チャールズの死は、いくらでも感傷的に演出できそうなところなのに、あえて淡白に過ぎ去ってしまうかのように描かれます。これには理由が考えられ、一つに、今作のリアリティ路線の追及に即した演出を取ったからでしょう。しかし、変に大仰な演出にするよりも、引き算した演出の効果で、大切な人を失った喪失感はかえって浮き彫りになります。

もう一つは、あくまでこの物語はローガンという孤独な男に焦点を当てたかったのかと考えました。ローガンにとって父性を象徴するチャールズが無機質な死を迎えることで、ローガンの孤立した心情が深まります。

その孤独な男が抱える苦悩こそ、本作の主題である罪と罰にまつわる葛藤です。

戦争を経験し、その後もヒーローとして、幾人もの人間を殺してきたローガンの背負った十字架は、果たして許されるものなのか?先に書いた、暴力の本質がこのテーマへの助走だったことは、言うまでもありません。

劇中で流れる映画『シェーン』のセリフ「一度人を殺してしまった者は元には戻れない」がテーマを読み解くキーワードになります。

チャールズを失い、「エデン」も実在はしません。最期ローガンに残されたのは、ローラだけです。ローラはローガンと同じ能力を人為的に植え付けられた、人工のニュータントで、そのため、遺伝上のつながりはあるのでしょう。しかし、それよりも旅を続ける中で芽生えた精神的な繋がりの父性の方が先だっているのだと考えられます。

彼女を救うことが、ウルヴァリンに課せられた最後の使命です。

 

〈ヒーロー性の奪還〉

ローガンが最後に対峙する相手が、自分のクローンであることも当然意味深いところ。

敵対者は、能力が衰える前の自分。殺人の罪を重ね戦うことでしか存在意義を見出せなかったかつての自身の投影であると言えます。

ローガンが人を傷つける夢にうなされ、何かに怯えながら暮らしてきたのは、過去の自分の行いから逃げ続けていたからです。

彼が最後に戦う理由は一つ。ただ、ローラを守ることだけです。

ローガンの無残な死にざまに象徴されるように、結局殺人の罪を犯した人間が安寧を得て最期を迎えることは叶わないのかもしれません。

それでも、ローガンの死に意味があるのは、ローラを守ろうと立ち上がったことに尽きます。誰かを守ることがヒーローの本質ならば、ローガンはそれを最後まで全うできたのだと言えます。

ラストシーン、ローガンの墓に立てられた十字架を、ローラが横たえ「X」の文字に見立てます。十字架を下ろし罪人としての彼を許すとともに、X-MENを司る「X」の文字がヒーローとしての彼を象徴させているのです。

人は誰かのために命を懸けてヒーローに成り得たとき、過去に犯した罪を贖うことが出来るのではないでしょうか?

ローガンの求めいていた問の答えはここに示されます。ローラを救ったことで、ローガン自身を救ったことにもなりました。

ローラもまた孤独な人生の中で誰かのヒーローになったとき、罪の決着をつけることになります。愛する父、ローガンがそうであったように。

 

この作品は『ウルヴァリン SANURAI』での負債を十二分に返すに値すると断言します。ジェームズ・マンゴールド監督の哲学的テーマ性を刻印しつつ、エンタメ性も損なわない『ローガン』は、「ヒュー・ジャックマン最後のウルヴァリン」の触れ込みに釣り合う傑作でした。但し、最低限『ウルヴァリン X-MEN ZERO』辺りは観ておいたほうが無難でしょう。

 

◆余談

二か月位ブログの更新が滞ってしまいました。理由はよくあることで、私生活の方が忙しかったから。ブログ休む理由って、大抵の人が私生活が忙しいからでしょうから、面白くもない理由ですよね。

あと、これからはなるべく、月に二、三回は更新するよう心掛るつもりです。

 

チャールズ役のパトリック・スチュワートは、スタートレックピカード艦長役が大好きです。ひいては、スタトレが好きなので、いつかこのブログでも、スタートレックに絡めた記事をかけたらなと考えています。いつになるかはわかりませんが……。