『雨の日は会えない、晴れの日は君を想う』原題『Demolition』レビュー ~ 邦題の示唆するもの メタファーに彩られた世界観~

◆基本情報

・2017年2月 日本公開 

・監督 ジャン=マルク・バレ 脚本 ブライアン・サイプ

・出演 ジェイク・ギレンホール、 ナオミ・ワッツ、 クリス・クーパー、 

 

◆あらすじ

ウォール街のエリートだったデイヴィス(ジェイク・ギレンホール)は、交通事故によって妻を亡くしてしまう。

しかし、妻が死んだにも関わらず、デイヴィスは一切涙を流すことはなかった。この出来事を機に、デイヴィスは自分が妻をないがしろにしていたことを自覚するようになった。

彼は苦悩していたところ、義父のアドバイスを受けて、様々なものを「解体」するようになる。

 

◆レビュー

掘り出し物の映画を見つけたとき、たまらなくうれしくなってしまう。それは、期待値の低さを上回ったお得感と言うよりも、人生どこが転機になるのかわからない楽しみと言ったほうが正確でしょう。

映画を観る時には、あまり先入観を持たないように心掛けています。というのも、一面的な見方をすると映画の解釈の幅を狭めてしまい、本当の意味で作品を楽しめなくなってしまうからです。とはいえ、理屈とおりにいかないのが人間というもの。なんとなくの印象で良いの悪いのと予想を立ててしまうこともしばしばです。

今回レビューする『雨の日は会えない、晴れの日は君を想う』について、正直どうかなと思いながら鑑賞し始めたのですが、見終わってその完成度の高さに唸りました。

作品の随所に散りばめられた隠喩の数々が、妻を亡くした男の繊細な心を揺さぶり、夫婦の間にあった淡い繋がりというテーマ性を浮かびあがらせることに成功しているのです。

 

〈揺れ動く感情表現〉

本作は、一風変わった物語設定になっています。

この手の作品の類型的な例として「最愛の妻を亡くして、そこからどのように立ち上がるのか」といった型があります。この型では、失意のどん底とそこを乗り越えた先の二つを二項対立的に捉えている為、シンプルな話運びになります。エンタメ作品としてとらえれば、起伏に富んだ、わかりやすい作品と言えるでしょう。

これらの作品と、本作が一線を画す点は、亡くなった相手を愛していたかどうか判然としないところにあります。無関心だった連れ合いを失った時、自分は何を感じ、どのように立ち上がればよいのか、がこの作品の大まかなテーマになっています。そもそも愛していたかどうかも定かではないがゆえに、悲しむべきなのかすらもわからない漠然とした心理がスタート地点となります。したがって、自身の中でなにが問題なのか模索する、繊細な心の動きが描かれます。

現実の問題に置き換えたときに、誰かの死が必ずしも悲しむべきものでないときがあるのも事実。夫婦の関係にしても、単純化した図式で割り切れない関係も案外多いのかもしれません。

上記の繊細な心理描写を可能にしているのは、ジェイク・ギレンホールの好演が大きいと思います。悲しみの代価として緩やかに心が崩れていく様を表情、仕草で巧妙に表現できており、彼の放つ男性性の中から滲む人間の脆さの演技が、本作の屋台骨であるのは間違いないと言えます。

ちなみに、近年のジェイク・ギレンホールの出演作『サウスポー』は、先に挙げた「最愛の妻を亡くして、そこからどのように立ち上がるのか」という筋書きそのままの作品になっているます。二作を対比して鑑賞してみるのも一興かもしれません。

他にも、映像的表現として、常に画面を固定せずにほんの少し揺らしている技法が用いています。常に不安定なカメラの視点を入れることで、主人公デイヴィスの揺れ動く心理描写を表現しています。

 

Demolition=解体〉

義父からのセリフの「心の修理は車の修理と同じ」が、主人公の行動の原点です。デイヴィスがどんな物も分解するようになったのは、言うまでもなく自分の心の内を解明したい欲求のメタファーになっています。また、彼の分解する癖の始まりが、冷蔵庫になっているのもポイントです。

劇中で描かれる分解は徐々にエスカレートしていき、破壊衝動にまで至ります。どうにもならない感情を何かぶつけ、もがく姿は痛々しく映りました。

デイヴィスが防弾チョッキを着て、自分を打たせるシーン。死を弄び、自分を傷つけなければ生を実感できない所まで追い詰められており、これも一種の破壊衝動なのだと言えます。

 

〈妻からのメタファー〉

表面上、デイヴィスは妻に無関心であったし、妻も他の男と浮気をして妊娠、中絶

までしていたことから、この夫婦の関係は破綻していたように見えます。しかし、本作の終盤で明かされるメモの意味に気が付いた時、夫婦の間にあった仄かな愛情が見えてきます。

車の中で見つけた「雨の日は会えない、晴れた日に思い出す」とのメモは妻が残した物。そして、このメタファーを読み解く上で重要なのは、映画冒頭であった冷蔵庫の水漏れの件です。冷蔵庫の水漏れ=雨が降っている状態の事です。冷蔵庫の水漏れについては、妻が以前から相談していたことであり、それをいつまで経っても放置しているのは、デイヴィスが妻に無関心であることの象徴です。つまり、「雨の日は会えない、晴れた日に思い出す」とは、冷蔵庫の水漏れが直っていない状態=私に関心がないあなたとは分かり合えない。でも、冷蔵庫の修理を終えた状態=あなたが私の話を聞き、関心を示すならば、出会った頃を思い出す。という、妻からの愛情のサインでした。

また、メモを発見し、事故の直前を思い出す瞬間「俺の椅子じゃねから関係ねぇ」という妻のセリフもフラッシュバックします。これは、二人が出会ったパーティーの時に、偶然テレビで流れていたトカゲのアニメーションのセリフであり、二人が出会った頃の馴れ初めを象徴するセリフと言えます。これらが示唆するのは、妻は夫との思い出を大切に持ち続け、出会った頃の関係に戻りたかったことです。

メタファーの先に隠された真意。デイヴィスがなんの関心も持たなかった灰色の関係の中にも、本当は妻からの愛情の片鱗があったのだと言えます。

 

〈メリーゴーランドに込められた思い〉

ラストシーンに登場するメリーゴーランドは、誰からも見向きもされず解体待ちであったことが、中盤の会話で明かされています。メリーゴーランドは、デイヴィスに振り向いてもらえなかったジュリアのメタファーです。

そのメリーゴーランドを、妻が好きだった海の浜辺に建てることは、ジュリアとの思い出の復元であるといえます。

心の解体を続けていたデイヴィスでいたが、葛藤の先に辿り着いた答えは、壊すのではなく修復することです。無関心だった過去の中に、かけがえのないものを見つけた彼は、もはや何も解体する必要がなくなりました。

本作は、身近にいる人の大切さを説いた作品。いつも当たり前のようにあるものは、近すぎてその重要性に気が付きづらいのもです。失って後悔した感情の量だけ、過去に無自覚に享受していた愛情の価値を再確認することが出来ます。

この後悔の物語から伝わってくるメッセージは、翻って今現在、目の前にある何かの儚さと美しさを際立たせています。もし、この映画を観た人がいるならば、その瞬間、隣にいる大切な人のことを考えてみるほうが良いかもしれません。人生において、その繋がりがいつ失われるか、わからないのですから。

 

〈私的な話〉

ジェイク・ギレンホールの出演作結構観てるんですよね。しかも、それは意識的にと言うよりも、偶々鑑賞してきたなかのに多くあったといった感じです。あるいは、彼の出演作が多すぎるあまり、その遭遇率が高いだけとの見方もできますが……。今回レビューを書くにあたり、ざっと調べたのですが、この人凄い数の作品に出てるよ。結構好きな俳優なので出演作を追おうかと思ったのですが、流石に全部は断念しました。またいつか縁があれば、スクリーン上でお目にかかれると思います。