『シング・ストリート 未来へのうた』原題『Sing Street』レビュー ~理想の実現、その限界点~

◆基本情報

・2016日本公開 

・監督 ジョン・カーニー 脚本 ジョン・カーニー

・出演 フェルディア・ウォルシュ=ビーロ、 ルーシー・ボーイントン、 ジャック・レイナ―、 ベン・キャロラン、 マーク・マッケンナ

 

◆あらすじ

コナー(フェルディア・ウォルシュ=ビーロ)は、不況によって家計が圧迫され、カトリック系の厳格な高校に転校することになった。そこではいじめっ子に目をつけられ、校長に強権的な仕打ちを受けていた。家族もバラバラになっており、鬱屈とした現実の中にいたコナーだったが、一人の女の子の気を引きたい思いから仲間を募りバンドを始めることになる。

 

◆レビュー

監督は音楽に深く携わってきた経験を活かして『ONCE ダブリンの街角で』『はじまりのうた』などの映画を作ってきました。本作も同じ路線で作られた青春物語となっており、紛れもない傑作と言えるでしょう。

正直な話をすると、私は音楽には疎くてほとんど聞きません。流行りの曲なんかもコンビニやらテレビのCMで流れているのを耳にする程度です。但し、映画に関連した音楽なら興味が出ます。それは「映画」という作品世界を構築するにあたり、音楽が切っても切り離せない関係にあるからです。

本作で流れる名曲のポップスたちは、映画に付随する演出装置の役割を超えて、映画に清涼な息を吹き込こんでいます。作中の彼らの抱える悶々とした霧を浄化する「力」を携えているのです。

 

アイルランドという国〉

まずは本作の舞台となるアイルランドについて簡単なおさらい。

人口は、およそ470万人、面積7万300平方メートルで北海道と同じぐらい、首都・ダブリン。以前はイギリスの支配下にあったが、独立戦争を経て現在は分離し独立しています。

畜産業が盛んに行われており、乳製品や牛肉を多く海外に輸出している。また、ジャガイモの栽培でも有名で、アイルランドの郷土料理にはジャガイモは欠かせない材料となっている様です。

経済面で言えば、アイルランドは1990年代にITの多大な恩恵により、急激な経済成長を遂げて、現在では非常に豊かな国の一つになっています。

本作の時代設定は1985年になっているため、国が豊かになる夜明け前と言ったところでしょうか。当時のアイルランドは経済不況に苦しんでおり失業率17%に象徴されている様に、行き場のない閉塞感に満ちていました。劇中の初めには、このような危機的状況が描かれ、主人公の家族もその影響をもろに受けています。

ちなみに以前レビューした『ブルックリン』もアイルランドで燻っていた少女がアメリカに渡るお話でした。

movielocallove.hatenablog.com

あの作品は1950年という設定だったので、本作とは時代的に少しズレは生じているものの、やはりアイルランドの停滞した状況は共通しています。

こうやって見ると、1990年代までのアイルランドの扱いが少しおざなりに思えます。どうも「何もない田舎」のステレオタイプとして扱われているようで少し不憫な気も……。

私の中では、牧羊とケルト文化が特徴で、自然と伝統の美しさをイメージしていました。兎角プラスの印象ばかり抱いていたのですが、それはあくまで観光で訪れるにあたっての話なのでしょう。この二作を見ると、その土地で暮らす人にとっては、なかなか切実な歴史を経てきたことが想像できます。

 

〈家族と学校、その閉塞感〉

主人公のコナーは15歳の高校生、とすれば彼を取り巻く世界は大きく二つしかありません。

一つは家族との関係について。前述した不況のため父親のロバート(エイダン・ギレン)は職を失っており、母親のペニー(マリア・ドイル・ケネディ)は浮気をしています。当然と言うべきか、夫婦仲は最悪でいつも喧嘩が絶えません。冒頭コナーが自室にいる場面、壁越しに両親の罵り合う声が聞こえてくるシーンはややありがちですが、彼の家庭環境をうまく切り取っています。子供にとって逃れられない存在である両親、そこの関係が不安定である状況のやるせなさが、コナーの悩みの一因となっています。

この両親ついて、共に悪人として描写されていません。父親が失業したのも、社会全体のうねりに逆らえなかった為です。母親の浮気も、夫が妻をないがしろにしてきたバックグラウンドが入っているため、むしろ同情的な目線で見れます。母親が夕日を眺めながら、新聞を読む後ろ姿は、物悲しく映る。

兄のブレンダンも、人生に挫折し立ち上がれないままでいます。彼の語る「ジェットエンジン」の例えから、この場所から這い上がれない者の苦痛がひしひしと伝わります。ブレンダンは、映画の中盤までコナーの音楽の師匠として頼れる存在だっただけに、余計胸を締め付けられる思いがします。

二つ目のコナーの世界は、学校です。厳格なカットリック系のシングストリート高校に転校した先で待っていたのは、強権的な校長といじめっ子のバリーでした。

コナーが茶色い革靴を履いてくると、校長は「黒い靴でなければならない」と頑として認めず、結局彼は裸足で歩くことになます。何より一番強烈だったのが、髪を染めてきたコナーに対し、校長は無理やり洗面台に彼の顔を押し付け、石鹸で髪を洗うシーンです。ここから、学校における校長の立ち位置、絶対に逆らえない権力者としての顔が伺えます。

バリーも、直接的な暴力を振るうのですが、中でもパチンコで脅すところが畏怖感を覚えます。しかし、このバリーは一方的な敵対者としてではなく、彼も劣悪な家庭環境に押しつぶされている子供の側面も、後に明かされます。

コナーを取り巻いているのは、自分一人の力ではどうすることもできない世界。80年代アイルランドの経済に呼応するように、彼の現実も先行きの見えない圧迫感に潰されかけているようです。

 

〈コナーにとっての音楽〉

コナーが音楽を始めたきっかけは、ラフィーナ(ルーシー・ボイルトン)の気を引くための嘘からでした。しかし、音楽をすることは、次第に別の意味合いを持つようになります。

劇中のコナーのセリフで「この場所から抜け出せないけど、うまくやっていく」というものがあります。このセリフに象徴されるように、彼にとっての音楽とは、どうにもならない現実を打開し、生きていくための拠り所になっているのです。

バンド仲間と創意工夫をしながら音楽を造り上げていく過程で、今まであった鬱屈が徐々に忘れられていくのが見てとてます。

両親が喧嘩しているとき、ブレンダンの部屋でレコードをかけることで辛い現実の音を文字通り打ち消しています。

個人的な体験なんですが、私自身も生きていくうえで辛い現実に直面することが多々あり、そんなとき、自分の支えになるのが映画だったり、文学だったりします。もっと言えば、このブログも自分の中にある何かを吐き出すことで、現実に立ち向かう原動力になっています。音楽にせよ、映画や本にせよ、芸術によって何かが救われる気持ちは同じです。そういった意味で、この作品に非常に感情移入してました。芸術による救済は、種類は様々ですが普遍的感覚なのではないでしょうか?

 

〈音楽によって願った理想〉

私がこの作品の中で最も心惹かれたのは、『Drive it Like You Store it』を演奏するシーンです。ノリの良い曲が放つ解放感と、映画としての物語上のメッセージ性とが混然一体となり、圧倒的な吸引力をもっています。

この曲のコンセプトとして『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でのプロムのダンスシーンを意識しています。あの映画では、タイムマシンを使って過去に遡り、両親に関わる過去を変えたことで、未来も変えていました。つまり、超科学的な力に頼り、本来ならば変えられない現実を変えていしまう物語。それと同じように、この『シング・ストリート』では、音楽のというイマジネーションの力によって、どうにもならない現実を変えることを願っています。

このシーンのコナーの空想では、すべてが思い通りになった理想的な幻影が映し出されます。

思いを寄せるラフィーナは美しくドレスアップした姿で現れ、モデルの夢を体現しています。両親は仲睦ましく手を取り合い踊り、兄のブレンダンは颯爽とバイクで現れます。あの横暴だった校長は打って変わって朗らかに音楽に身を委ねています。

この曲を演奏している間だけは、辛い現実は綺麗に消え去り、ただ幸せの絶頂のままでいられるのです。しかし、演奏が終われば元の現実に引き戻されてしまいます。

音楽の力では、現実を「すべて」覆したいというコナーの願いは叶いませんでした。

 

〈音楽によって変えられた現実〉

『Drive it Like You Store it』の演奏シーンでは、現実に影響を与えることが出来ませんでした。しかし、その代替としてプロムでの演奏シーンが入ります。

その中でも『Brown Shoes』の演奏シーンで、彼らは小さな革命を起こします。

バクスター校長に一矢報いることに成功し、自分たちの音楽をやりぬいたこの場面、カタルシスがあるのは確かですが、結局は現実は変えることはできていません。

あそこで、校長に恥をかかせたところで、プロムが終わればまたいつもの強権体制に戻るのは明白です。また、バンドメンバーにバリーを加えて、彼の救済もなされたように思えますが、家に帰れば劣悪な環境に逆戻りです。

コナーの両親の離婚も避けられないままですし、ブレンダンの現状もいきなり好転するものでもありません。

それでも、この作品が伝えたいのは、音楽によって変えることができる「ほんの僅かな何か」の大切さなのだと思います。

現実には変えることの出来ない強大な事柄ばかりです。それでも自分の自身が変われば、未来も少し変えることが出来るのかもしれないという、リアリズムに則った着地が力強くも心地よい。

現実における限界点を見極め、「すべて」は無理でも「ほんの少し」だったならと、未来へのポジティブな展望を抱かせるのが、この作品の主張だと言えます。

コナーとラフィーナは、渡った海の先でどのような人生を築くのでしょうか?

 

◆私的な話

映画のレビューを書く際に苦慮するのが、音楽の扱いについてです。なんか、音楽の良さを文章で表現するのって恐ろしく難解な作業に思えてならない。

だって音楽って感覚的に聞くものでしょう?リズムやら音程やらのどこが良いのか、言語化するってどうすればいいのか見当つかないんですよ。

ミュージカル映画とかで音楽の持つ意味合いが、映画のストーリーに絡んでくるとどうしたものかと思っちゃいます。今回の『シング・ストリート』でも、曲の持つメッセージ性にもっと切り込んだ内容にできれば理想的だったんですが、そうもいかず……。まあ、本作で描かれているように、「すべて」うまくやろうなんて無理な話なんでしょう。という風に、自分を慰めて締めくくります。