『ヴィジット』原題『The visit』レビュー ~特効薬の力 ホラーがもたらす効用~

  ◆基本情報

・2015年日本公開 

・監督 M・ナイト・シャマラン  脚本 M・ナイト・シャマラン

・出演 オリヴィア・デヨング、 エド・オクセンボウルド、 ディアナ・ダナガン、 ピーター・マクロビー、 キャサリン・ハーン 

 

◆あらすじ

ベッカ(オリヴィア・デヨング)とタイラーと(エド・オクセンボウルド)は、疎遠になっていた祖父母の家を訪ねる。シングルマザーの母親は家出同然で駆け落ちした過去があり、そのことから祖父母と確執ができていた。

初めて会う祖父母と穏やかな休日を過ごすはずが、次第に老人二人の持つ異常性が明らかになっていく。

 

◆レビュー

この作品が劇場公開されていた当時の予告CMを良く覚えています。初めこそ、感動のホームドラマの雰囲気にしておき、いきなりホラー映画としての色を前面に押し出す演出をとっていました。あのCMは日本公開用に作られたものでしょうが、ある意味この作品の特徴をうまく捉えた編集だったのだと言えます。

 

〈分類不明なジャンル〉

本作は大別すればホラー映画であり、当然純粋に怖いシーンはいくつもあります。

タイラーが隠しカメラを仕掛け、それを老婆が見つけるシーン。この手の映画としてはオーソドックの範疇を出ませんが、少なくともホラー慣れしていない人間には十分な迫力でしょう(かくいう私がそう思った)。また、終盤近くにおけるどんでん返しは既視感がありつつも、鳥肌が立つような静かな恐怖を演出できていたと思います。

他、木に吊るされたステイシーが一瞬だけ映り込むシーンは『ブレアウィッチプロジェクト』のラストシーンを彷彿とさせます。『ブレアウィッチプロジェクト』と言えば、本作は実際のホームビデオの映像視点で撮影されているpov方式を採用していおり、少し意識したのかもしれません。

上記のところだけを見るとよくあるホラー作品に留まりますが、本作は怖いシーンでも笑えたり、悲しかったりと他の感情をも刺激する要素が入っています。

例えば、ベッカとタイラーが床下でかくれんぼするシーン。老婆が四つん這いになって追いかけてくる所は最も怖い場面であることは請け合いです。しかし、外の明るみに出ると途端に恐怖感は霧散し、老婆のスカートがめくれて半分尻を出している後姿でシュールなコミカルさが一気に込み上げます。また、タイラーと老婆がゲームをしていたシーンで、ビスケットを貪り食っていた老婆がカメラ目線で叫ぶところも、ストーリーの進行に反してなぜだか笑えてしまいます。

劇中終盤に流れるミュージカル曲の優美さと、ストーリ上の悲壮感のアンバランス感がこの作品の基本スタンスを体現しています。

本作はホラーという一色に収まらず多様な要素を組み込み、後述するテーマ性とも手を結び、大変見応えのある作品に仕上がっていると思いました。このジャンルにとらわれないフレキシブルな作風こそ、シャマランの特色なのでしょう。

 

〈老人と子供の対比〉

老人たちの正体は作中で明かされるように、精神病棟から抜け出した患者でした。彼らの背景のすべてを把握することはできませんが、彼らの子供を巡る出来事があったことは理解できます。

老婆が取り乱すトリガーになるのは、自身の子供とのことを触れられたときです。井戸に子供を捨てた経緯は不明ですが、そのことへの懺悔や苦悩が彼女の異常性を駆り立てたのでしょう。

老人が誰かに尾行されているという被害妄想を抱くのは、子供を遺棄したことによる罪悪感と、いつ捕まるのかのという危険意識からくるものだと考えられます。

子供側の二人もそれぞれ家族に関わる問題を抱え苦しむ様子が描かれています。

ベッカ―は父親との別れにしこりが残ったことに起因し、自身の存在価値を実感できずにいます。鏡で自分の事を直視できないのは、父親に捨てられたと思っている自分を肯定し、受け入れることができない為です。更に透けて見えるのは父親への憎悪と以上に、母親が悲しみに暮れる事への共鳴的な感情です。祖父母と決別した母親の苦しみを、ベッカー自身の抱える父親へのコンプレックスと紐づけし、自己投影しているように見られます。ベッカーの問題解決には、母親の救済が不可分なものなのでしょう。

タイラーの抱えている問題は潔癖症です。ここにも父性の喪失が関連しており、精神の不安定さに対抗するための手段として現れています。対抗手段という意味では、タイラーのやっているラップも自己表現を通して喪失の痛みを和らげる意味合いを担っているのかもしれません。

最後の対決のシーンで、ベッカーとタイラーは各々の抱える問題に対峙します。ベッカーは鏡を、タイラーは潔癖症を克服して危機を脱します。その時二人の乗り越えるべき相手として老婆と老人が設定されているわけです。

 

〈特効薬の意味〉

上記の対決のシーンがベッカーとタイラーの問題解決のきっかけになったのは明らかですが、果たしてそれが本当に二人の救済に成り得たのでしょうか?

一見すると、老人二人を打倒したことでベッカーとタイラーは精神の歪みが正常化されたように思われがちですが、私の見解は違います。

ここで見逃せないのが、ベッカーとタイラーは、自己防衛のためとはいえ殺人を犯しているということです。映画の編集上、対決後の二人の苦悩は描かれないため表面化していませんが、殺人の事実は二人の精神を更に侵食したことは想像に難くありません。二人の経験はむしろマイナスに作用したと考えるべきあり、もっと言えばあのまま救済がなされなければ、ベッカーとタイラーは老人達のような行く末を辿っていたことでしょう。

では、何がベッカーとタイラーの精神の救済になったのかというと、母親からの「特効薬=愛情」だと言えます。終盤、母親のインタビューで「あなたの為に話すの」と前置きをいれています。つまり、殺人という悲惨な経験をした二人を救うために、母親自身の過去を打ち明けたのだと言えます。いかに子供たちに愛情を持っているのかを示すことで「許し」の大切さを伝えました。

子供たちににとっての「許し」とは母親からの無条件の肯定であり、同時に母親にとっての「許し」とは子供たちからのその愛情の反響にあったのです。

特効薬というキーワードは、ベッカーが老婆にインタビューするところで出てきます。ベッカーが、「ある女の子の話」を通じて許しの大切さを説いたあのシーン、老婆の見せた涙は心からのものだったのだと画面から伝わってきます。

ラスト、ベッカーが鏡に面と向かって髪をとかすことができたのも、タイラーが潔癖症をラップの題材にできたのも、偏に母の特効薬があったからです。

 

本作はジャンルをホラーに設定することで、恐怖という人間の負の側面を背景に立てています。しかしそこから浮かび上がるのは親子の愛情の物語です。暗がりの中だからこそ、精彩に明かりが際立つ構造になっています。

ついでにいえば、シャマランの代表作『シックス・センス』でも同じようにホラーと親子愛の対比がなされています。そういった共通項も含めてシャマラン監督の新たな代表作と言えるのではないでしょうか。

 

◆私的な話

実を言うと最初は、床下でかくれんぼするシーンほとんど目を伏せながら見ていました。だって姉弟二人があそこに入った瞬間に「あ、駄目だ。絶対怖いやつ来る」ていうのがわかっちゃうんですもん。そしたら案の定ド迫力の老婆が追っかけてくるし……。

でもレビューを書くにあたって、映画を部分的にせよ見ないというのはいかんと思い、何度もDVDを巻き戻しながらあのシーンに食い下がりました。そんで、少しづつ感覚を慣れさせながら、徐々に視界を遮っていた指の感覚を広げていくという、涙ぐましいい努力を繰り返しました。やっと画面を直視できたのは果たして何回目だったのだろうか?