『ブルックリン』原題『Brooklyn』レビュー ~社会を生き抜くことの代償~

◆基本情報

2016年日本公開

・監督 ジョン・クローリー ・脚本 ニック・ホーンビィ

・出演 シアーシャ・ローナン、 ジム・ファレル、 トニー・フィオレロ

・配給 20世紀フォックス

 

◆あらすじ

アイルランドの田舎町でくすぶっていたエイリッシュ(シアーシャ・ローナン)は、姉のローズの勧めでアメリカのブルックリンに移住する。慣れない土地や人に悪戦苦闘しながらも、少しずつ成長をしいく。その矢先に、故郷のアイルランドから姉が亡くなったとの便りがくる。

 

◆レビュー

2016年度アカデミー賞、作品賞、脚色賞、主演女優賞ノミネート。

本作はアイルランド・イギリス・カナダの合作だそうです。なるほど、その情報を知って本作のスタイリッシュな絵面に納得しました。ついでにもう少し調べたら、一般の観客と批評家の両方からの評判が上々の様子です。

そして私もこの映画全面的に支持します。その理由として、衣装や美術のディティールの華やかさとは裏腹に、綺麗ごとだけじゃすまない現実に即したテーマを内包していることがあります。

 

〈ケリーの人物像〉

アイルランドで雑貨店の店主をしているケリーは、非常に意地が悪い人間として描かれています。エイリッシュへは冷たく接し、自分の店であるのをいいことに、客の買い物にも口出しをして横暴な態度をしめしています。しかし、ケリーはただ単に嫌な側面だけを持っているわけではありません。同じシーンで、常連さんと思しき女性を優先させています。ここから、狡猾で計算高い人物像が分かります。このような世渡りの術を心得ているからこそ、店主として生き残ってこれたのかもしれません。

また冒頭の数分間の合理的かつ何気ない描写で、ケリーの人物像を表した監督の腕前に感心しました。

 

〈エイリッシュの変化〉

初め彼女は不器用でおとなしい少女で、新しい環境に適応できていませんでした。そこから大学で簿記の勉強、トニーとの恋を通じて変化していきます。まずはその変化の例を主に三つ挙げます。

一つ目は、仕事に関して。

初めはぎこちなかったのが、見違えるような対応を習得しています。自分に自信をもって喋っているため、お客さにもそれが伝わっていることがわかります。

二つ目は、人間関係に関して。

同居人の小姑のような二人組から嘲笑さても黙って耐えるしかなかったのが、彼女らとうまく付き合うようになっています。ただし注意すべきは、この関係性の変化には代償が伴っているということです。下宿先に新入りの少女が入ってきますが、この子を排除することでエイリッシュは自分の立場を確保しました。その証拠がダンスパーティーのシーン。小姑二人からトイレに呼び出され、口紅を塗ってもらいます。このワンシーンだけで、今までの対立の関係性でなくなったことが把握できます。その後の下宿先での食事のシーン、彼女らとエイリッシュが談笑する傍らで、新入りの少女は僅かに居心地悪そうにしています。微妙な心理の機微を的確に捉えた描写になっています。

また、恋人のトニーからダンスパーティーから抜けださないかと持ち掛けられた際には「同じ寮の子だけど、ひどいの」などと言い、新入りの少女を置き去りにしています。

このように誰かを排除すること、もっと言えばいじめることで仲間内の連帯感が増すメカニズムは、現実の社会でもよく見られる光景です。

三つ目は、恋愛の巧妙さに関して。

アイルランドにいた頃の彼女は恋愛に奥手な少女でした。ダンスパーティに行っても男性から誘われず、そのまま帰ってしまいます。エイリッシュの寂しげな心情は、少し長めの彼女の表情のショットで映像的に表現されています。

ところが、ブルックリンではトニーと恋人になり、スムーズに婚約までこぎつけます。ここまでなら特に問題ないのですが、エイリッシュがアイルランドに帰省してからが肝心で、トニーという別の男性と出会い恋愛関係になります。二人の男性を天秤にかける計算高さが伺えます。

エイリッシュは強い女性に成長した反面で、以前の純真さを失ってしまったのです。

 

〈二人の対決シーン〉

エイリッシュとケリーの対決シーンは本作のクライマックスにあたります。

エイリッシュが「私の名前はエイリッシュ・フィオレロ」と毅然と言い放つところは、カタルシス溢れる名場面になっています。それは、傲慢で狡猾な魔女を打ち負かしたところに爽快感があるのですが、どこか釈然としない部分もあります。なぜならば、実際はエイリッシュの不誠実な落ち度があったために、ケリーに追及されてしまったからです。

上記のエイリッシュの人物像で述べたように、彼女もまた狡猾な側面を持っています。つまりはエイリッシュも、少なからずケリーと同じような人間になったのだと言えます。ケリーはエイリッシュの負の側面を投影した人物になっています。

エイリッシュはケリーに対抗できる人間になったというよりも、対抗できる人間になってしまったと言ったほうが正確でしょう。

社会で生きていく為には綺麗ごとだけでは済まないことばかりです。女性の社会的立場が極めて弱かった時代背景を考えれば、なおのことでしょう。その世界の中では純真なままではいられないのだ、というのが本作の主題だと考えます。

 

〈ラストの船出のシーン〉

エイリッシュが初めてブルックリンに渡る船の中で、相部屋になる女性と話します。彼女は初め無関心な態度でしたが、エイリッシュが船酔いになり、別の部屋の人間から嫌がらせを受けていると知ると、急に親切になります。また、初めは譲らなかった二段ベットの一段目を、さりげなく譲っていることにこの女性のやさしさが隠されています。

エイリッシュは、この女性からブルックリンで暮らすうえでの心得を教えてもらいます。劇中終盤にエイリッシュがブルックリンにに帰るとき、同じくブルックリンに移住する少女にこの心得を伝えています。また、この二つのシーンは意識的に同じ造りになっており、エイリッシュの成長をを測る役目を果たしています。

終盤の船のシーンでエイリッシュが少女に優しく接していたのは、以前の自分の姿を重ねたため。純朴だった少女の頃の自分には二度とは戻れないのだ、という感情があったからだと考えます。また、あの少女の純朴さも、エイリッシュと同じように現実を生きるなかで消えていくものなのでしょう。

郷土への思い、自分へ追走、そういったものを抱えながらもブルックリンで生きていくことを決めた一人の女性の姿が、最後には描かれているのです。

 

綺麗ごとだけでは済まない現実を見せながらも、それに立ち向かう一人の女性の姿に心を動かされます。そしてエイリッシュの成長の軌跡は、大人になった人間ならだれもが身につまされる思いがするのではないでしょうか?

このリアリティ溢れる部分にこそ、本作の人気の秘密が隠されているのだといえます。

 

〈私的な話〉

私は権威主義とかあまり好きじゃないのですが、何やかんやでアカデミー賞に絡んだ作品に目がいっちゃいます。というのも、やっぱり面白いからなんですよね。結局何かしら見所がなくちゃノミネートされないですもんね。

ちなみに、アカデミー賞は純粋に作品の質に基づいて決まるのではなく、アメリカの社会情勢が密接に関係したものです。初めこのことを知った時は、なんだか釈然としませんでした。今はその辺の事情も含めて楽しむようにしています。